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2015-08-10

鶴見良行『バナナと日本人』(岩波書店)は示唆に富んだ本である。再読したが、内容は古くはならず今でも読む価値のある本である。とにかく、鶴見は足で稼いだ知識で、自分の目と耳で調べている。この点で、私などはネットだけの情報で十分だと思ってしまい、現地で細かい調査をしないのに、何かを語ってしまう。この点は自分は反省すべきだろう。
日本人がバナナを好むようになったのは、台湾併合をきっかけとするようだ。そして、台湾のバナナ、エクァドルのバナナ、やがてはフィリピンのバナナが日本人の嗜好にあっていく。バナナは栄養価が高く、一年中栽培が可能という夢のような食べ物だ。ヨーロッパでもジャガイモの導入により、人口の増加が可能になったが、バナナも同じ効果を各国に与えている。
しかし、この夢の食べ物も西洋先進国の資本がやってくると厄介なことになる。資本の論理からすると行くつくところ、高い生産性を目指して、能率的な栽培と収穫である。画一された栽培方式、多量の肥料と消毒液をかけての大規模栽培。伝統的な自然と人間との付き合いは、やがてはこれらの機械的で非人間的な付き合いに変化していた。
いままで、田んぼや畑で自給自足をしていた人々は田んぼや畑を売り払い、バナナ園の作男となる。そして、なにやら訳のわからないままに借金を背負わされる。これはホセ・リサールの描いたスペイン時代の搾取の構造と似ている。当時はアシエンダ(スペイン語: hacienda)と呼ばれた大農園制はフィリピンの人々を苦しめたが現代も継続しているのだ。
バナナは日本では比較的安い値段で売られているが、その陰には現地の労働者の激しい搾取を背景としている。その搾取が生じた原因は、歴史的な経緯があるが、アメリカの大資本が利潤をもとめてフィリピンに大農園(プランテーション)を開設したことが一つの理由である。また、それに応じるようにフィリピン人の資産家たちが法律を変えたり、警察や私兵を利用していったのである。アメリカの大資本家とフィリピンの支配階級は搾取という点では大いに協力をしている。その体制に気づいて反抗しようとする人は、権力と結びついた警察やガードマンたちによって、サルベージ(殺害)された。(サルベージ salvage とは、元来は「救う」という意味だが皮肉にも逆の意味になっている)。
戦前に日本人たちがダバオでマニラ麻の農園を作った。かれらも現地のエリートと結びつき、無知な労働者や農業従事者から搾取の体制を作り上げていたとはこの本で知った。
一つの農産物、モノカルチャーしか作らない生産体系は、国際価格の変動に大きな影響を受ける。バナナは日本の市場で好まれてきたが、次第に飽食ぎみになり、日本人はキウイやグレープフルーツなどの他の果物を好むようになってきたという。確かにそうだ。わが家でも、このところはバナナは食べない。ちょっとあの甘位味が飽きたように思う。
さて、とにかく日本にいる消費者はこの体制の恩恵を受けている訳だが、何ができようか。イオンの店先で売っているバナナを買ったらいいのか買わないほうがいいのか。購入するかどうかという私の行動がフィリピンの労働者とどのように結びつくか分からない。ただ、この事実を知っておく事は、少なくとも第一歩になるだろう。
数年前だがマニラの郊外の広々としたゴルフコースのそばを通ったことがあった。現地の人は日本人がここでよくプレーするという。そして、以前はここは広々としたバナナ農園だっという。利益を求めて資本の論理は土地をいかようにでも変えていくようだ。

photo credit: Costa Rica Trip 2009 105 via photopin (license)

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